人生の選択は、誰のためでもなく、自分のためにある。
高校生の頃、私は毎日、暗い洞窟の中にいるような感覚で、「もう外に出たくない」「消えてしまいたい」と思っていた。
けれど、そこから今の私がいる。
だからこそ、私はただ静かに、自分の選んだ現実を、責任を持って生きていきたい。
誰も助けてくれない。だからこそ、自分が自分を守るしかない。
私はあえて、静かに、ひっそりと、選んだ道を歩いていく。
「多世界解釈」的に生きるということ
物理学には「多世界解釈(Many Worlds Interpretation)」という考え方があるそうだ。
ひとつの選択をするたびに、無数のパラレルワールドが生まれていくという理論。
この世界線ではAを選んだけれど、別の世界線ではBを選んだ私がいる。
そう思うと、選択に「正解」なんてないのかもしれない。
ただ、今の私が選んだこの現実を、最後まで生ききる覚悟があるかどうか。
それだけが問われているのだと思う。
自責思考は、自由の鍵
「すべては自分の選択の結果」
そう思えるようになると、どんな出来事も他人のせいにできない代わりに、他人の評価にも縛られなくなる。
それは時に、つらく感じることもあるけれど、私はそこにこそ本当の自由があると信じている。
自分で選び、
自分で責任を持ち、
自分だけの道を生きる。
最後に
自分がどんな選択をしてきたか、誰かに理解してもらえなくてもかまわない。
それでも、心の中では確かに「私はこれを選んだ」と思っている。
言葉にしなくても、見せなくても、
その選択は、確かに私の人生を動かしている。
今の私は、幸せだと信じたい。
そして、あのとき消えたかった私に、そっと伝えたい。
「大丈夫。ちゃんと、生きてるよ」って。